筆者自身考えるリスクについての事柄、

筆者自身考えるリスクについての事柄、

 

日本のビジネスに於いて、「リスクマネージメント」という言葉が非常に目立っているように思うのである。物事を考えれば、必ずリスクは、つくものです。リスクを考えて、未知数のことをチャレンジしなければ、結論、何も見えてこないことが言えます。つまり、多少のリスクであっても、「やっちゃえ」という気持ちが、超えられない領域を超えることができると筆者は、常に考えています。

 

極論をいえば、人は生まれてきたら、必ず死にます。どんな結果であっても生まれてきて生きて、時間が経てば死ぬことは、確実に逃れられません。

 

そのことを常に、筆者は考えています。筆者は、体調が良くない部分もありますので、いつかそれが悪化すれば、どうしようもない状況になります。2013年に両目が失明したことがあります。大変なことを経験しています。現在も常にリスクが有ります。いつそれが発症するか、終わるかわかりません。前回は助かりましたが、常に終わりがあることが意識の中で感じています。リスクを感じて何かをやめるのか、終わってもいいからなにかにチャレンジするのか?といえば、目の前に感じることをやって、結果がどうでも受け入れるというスタンスが筆者なりの考えです。その考え方は無責任といわれるかもしれませんが、結論からいって、人生など、いつが終わりの時期がくるのか、その日がこないように必死に延命しても、どんな結果になるかなど、自らコントロールが難しいと言えます。よって、そのことを考えれば、チャレンジしないより、チャレンジしたほうがいいというのが、筆者の考え方です。

 

これは、大きな病気をしたことがある人なら必ず経験するはなしかもしれませんが、筆者も慢性病と失明という経験から明日ブラックアウトしても、なにかに向かう意思はあります。

つまり、リスクだけ考えて何もしないで終わるなら、なにかして終わったほうがいい。たとえできなくても、自分の人生だと考えています。家族もいますので、それは迷惑な話言われますが、慢性病の疾患というのは、本人が意識していようが、数字だけみれば、ある程度

悪い結果が見えてきますが、日常生活でなにがなにか本人は、全くわからないというのが、この手の病気の怖いところです。

さて筆者は、常に思考ということを重視しています。確かに、思考だけで何かができるはずはありませんが、思考までが悪化すると、もう人生は、終わりになると同じことです。よって、どんなことも常にチャレンジすることが重要と考えています。

なぜ、文章を書いているかといえば、なにか生きたということを書いておきたい気持ちがあるのです。

 

たしかにビジネスのために文章を書いている面もありますが、それだけではありません。文章を書くことで、筆者が何を考え、何を行動しているかの記録を残しています。

 

デジタルコンテンツの世界は、どこまでこのテキストデーターが残るかわかりませんが、確実に今の技術力では、デジタルコンテンツは、作成者が死んだあとも残ることになります。300年後に発見されたデジタルコンテンツということが、今後あるのかもしれません。

 

いずれにしろ、筆者は、もう20年以上もブログを書き続けています。一時期、失明して文字が見えないときを除いて書き続けています。その内容が、第三者から見て、楽しい内容か、ためになる内容かは、別として、自分が書きたいこと、訴えたいことを書くことにしています。

 

やはり、文章を書くということで、思考がどうなのかをもう一度見つめ直すことができます。

不思議なものです。

 

話が脱線しましたが、筆者自身には、常に体調管理という面でのリスクがあることで、ブレーキをかけなければならいこと、制限されることがありますが、思考だけは邪魔されたくないという考えがありますので、常に文字を書くことで、何かを発信しています。