2004年に起業したときの初心を思い出し、日本での事業モデルを考える。

(2004年に起業したときの初心を思い出し、日本での事業モデルを考える。)

どうでもいい話ですが、私が2004年に起業したときの目標は、船井総研みたいなコンサルティング会社を作ること・・・ということを目標に起業しました。上海で貿易コンサルティング会社を起業したのですが、そのときの業務は、「日中の架け橋を実現する企業」ということで、中国企業と取引したい日本企業とつなぎ、日中貿易の支援を行う。この事業はいまでも行っていまう。もう一つは、上海に進出したい日本企業の会社登記を代理するという仕事でした。

当時、友人以外から紹介された一番はじめの仕事が、船井総研からでした。笑いますよね。上海でホームページを立ち上げて、自らのビジネスを宣伝していたのですが、友人以外の紹介で始めてきた仕事が船井総研から上海に進出したい美容関係企業があるから、登記してほしいという依頼でした。これが、正真正銘一番はじめのインターネット経由できた全く知らないところからの仕事でした。まさに、シンクロ、船井総研みたいなコンサルティング会社になりたいとおもっていたら、船井総研が一案はじめの案件を出してくれました。

その後、船井幸雄さんとは話する機会もあり、私の知人もその関係のご縁が何人もいます。日本で初めてコンサルティング会社として上場した企業でした。

今日は、久しぶりにそのことを思い出しました。アフターコロナの時代になにをすればいいのか?うちの会社の事業モデルについてブログを書きながら、考えていますが、やはり、原点に戻るといことでコンサルティング会社を作り上げるということをしなければいけないと思いました。

「小谷企業育成コンサルティング」この屋号で、最近名刺をつくって、配っています。日本でできること、日本にいて、自分ができることは何?ということを常に自問自答しています。たしかに、海外でのビジネスは長年おこなっていますので、惰性で、なんとなくできていますが、やはり、片足は、常に海外で、日本の事業は、どうも納得できるビジネスを展開できていないと思っています。

そう考えたら、もう一度、海外に行ってチャレンジしたほうが良いのか?と思うこともあるのですが、コロナの影響や、体調のことを考えれば、20代のときのような挑戦はできないとおもいますので、日本でなにか形をつくらなければと思っています。

正直、海外ビジネスは、やっている人の母数が少ないので、見せ方がうまければ、目立つのは簡単といえます。よって、ネット戦略で検索エンジンで上位になれば、集客は割合できるということが言えます。

しかし、難しいのは、日本人として日本でなにかすることです。日本人で日本でなにかしていても、誰も氣にもしない話ですから、それを考えても、なにか味のあることをしなければいけません。

正直、いろいろ日本でやろうかと思いますが、日本より、海外ビジネスのほうが経験が多く、顧客のターゲットも限定しているので、そのノウハウがあるので、自分的には簡単に感じて、安易な選択をしがちです。

ある意味、日本でのビジネスモデルを確立することに、今後の課題になっています。原点に戻り、船井総研みたいなコンサルティング会社を作る。ということを2004年に思って、起業したのですから、その原点である初心を思い出して、「小谷企業育成コンサルティング」の事業モデルを日本で作り上げることが大切です。中小企業の支援モデルというのも、もともと起業した際のモデルでした。その事を考えても、資金は少ないかもしれませんが、母数が多いのは、中小企業です。中小企業の支援モデルで、日本の特許を商品化する支援モデルを確立させるために、「小谷企業育成コンサルティング」の事業モデルとします。

私自身、貿易ノウハウがありますので、国内流通だけでなく、隣国への貿易業務の支援もできますので、市場が広がります。そのようなモデルで、小谷企業育成コンサルティングの業務を作っていきます。