平時でなく戦時だと考えれば・・・

長期化するコロナ渦の状況、コロナが蔓延始めてからちょうど1年が過ぎた、私自身も海外に時間があれば渡航するという生活も、今は一転して、できる限り、外出は控えるという生活のスタイルに変わってしまった。

 

海外渡航も、2019年11月に香港へ出張行った以来、海外へ出向いていないという状態です。

 

1年以上も海外に行かない生活があるとは、思いもしませんでした。まだ長期化する可能性もありますので、これから2,3年は厳しい状況が続くのではないかと思っています。

 

そうなれば、従来どおりの海外ビジネスという感覚ではなくなります。

渡航できないのですから、どうしようもないという状況下になります。

 

確かに、連絡業務と国際物流は動いていますので作業ができますが、万一、現地にいって手続き、交渉をしなければならないということがあれば、困ります。

 

 

やはりそうなれば、国内へのビジネスへシフトするしかありません。国内もコロナ渦で消費が停滞している状況ですので、この状況下では、新規の案件は非常に厳しい状況になっています。

 

なかなか、八方塞がりの感じがする状況です。

無駄な体力を消耗しないようにして、静かになにか変化するのを待つのが一番かもしれません。

 

最近は、そう考えています。

 

ある意味、平時ではなく、戦時という状況下だと考えれば、行動は積極的にするべきではないかと思っています。

 

ただ、できること、インターネット上での活動だけは時間がある限り続けることが重要だと言うのは今の考え方です。

ブログを書き始めたきっかけ、そしてその目的、内容について

かつて、日本人街一番多い外国の街ということで、上海が一時期であるが、上海が第一位の時期があった。2008年から2010年頃が一番多かったのではないだろうか。その当時は、日本人の駐在員、留学生、自由業者など日本全国から上海に日本人が集まって来ていた。

筆者にとっても一番、中国ビジネスで良い時期だった。中国進出ブームであり、割合若い人も多くいて、非常に活発的な時代であった。筆者も上海で貿易会社をベースに他の商売も色々やってみた。

あの当時は、なんでもやってみようという気持ちが出てきた時代だった。下手でもいいからやってみたらなんとかなるのではないかということで、飲食店までやってみた。結果は、慣れない仕事は、やるべきではないというのが、本年の部分で、中国人の従業員をコントロールするのが難しく、大変な思いをしたことを記憶している。

筆者にとってもブログデビューをしたのが、『上海エクスプローラー』という日本人が開設した上海のポータルサイトである。そこに長い間広告を出していたこともあり、ブログを書かないかという誘いを頂いたことが、実は、小谷学の中国ビジネス奮闘記を書くきっかけになった。当時は上海のポータルサイトでブログを書いていた。その結果、多くの方と、知り合うきっかけを頂いた。

筆者にとって、インターネットというものと人の出会いというのは、切っても切れない関係であることが言える。現在でもブログを継続して書いているが、当時は、できる限り一生懸命、日本に対して中国の実情を伝えようと思い、自分目線で感じたことを書いていった。そのことが、新鮮に見えたのか、多くの方からご連絡を頂き、反響を得たことを記憶している。今書いているブログはどちらかといえば、個人的な内容の事が多いので、他人が読んで面白い話題になっているのかといえば、面白みにかけると本人も思っている。

伝える内容は、皆さんの知らない世界の情報でなく、どちらかと言えば、自分の内面的なブログ、普通の日記になっているからである。やはり、普通の日記ではつまらないので、なにか新しい世界について伝えることが重要ではないだろうか?

その点では、外国に住んでいるというステージが重要だったと思う。現在は、普通に東京に暮らし、そして、東京から中国に連絡を入れて貿易業務を行っている。確かに、新鮮で知ることも有るが、お客様の秘密保持の観点から伝えられる情報も少なくなる。結局、ブログの内容は、話してもいいことに限定されてしまい、結論から言えば、自分んの日々の生活の話になる。それはでは、発信するという点では読者から考えてどう思われるのだろうか?

やはり、今の課題はその辺が、筆者自身がつくるコンテンツという内容で、今後考える必要のあることである。筆者自身もその問題をクリアーしなければ、自分メディアしてのコンテンツの面白みにかけることになる。