かつて、日本人街一番多い外国の街ということで、上海が一時期であるが、上海が第一位の時期があった。2008年から2010年頃が一番多かったのではないだろうか。その当時は、日本人の駐在員、留学生、自由業者など日本全国から上海に日本人が集まって来ていた。

筆者にとっても一番、中国ビジネスで良い時期だった。中国進出ブームであり、割合若い人も多くいて、非常に活発的な時代であった。筆者も上海で貿易会社をベースに他の商売も色々やってみた。

あの当時は、なんでもやってみようという気持ちが出てきた時代だった。下手でもいいからやってみたらなんとかなるのではないかということで、飲食店までやってみた。結果は、慣れない仕事は、やるべきではないというのが、本年の部分で、中国人の従業員をコントロールするのが難しく、大変な思いをしたことを記憶している。

筆者にとってもブログデビューをしたのが、『上海エクスプローラー』という日本人が開設した上海のポータルサイトである。そこに長い間広告を出していたこともあり、ブログを書かないかという誘いを頂いたことが、実は、小谷学の中国ビジネス奮闘記を書くきっかけになった。当時は上海のポータルサイトでブログを書いていた。その結果、多くの方と、知り合うきっかけを頂いた。

筆者にとって、インターネットというものと人の出会いというのは、切っても切れない関係であることが言える。現在でもブログを継続して書いているが、当時は、できる限り一生懸命、日本に対して中国の実情を伝えようと思い、自分目線で感じたことを書いていった。そのことが、新鮮に見えたのか、多くの方からご連絡を頂き、反響を得たことを記憶している。今書いているブログはどちらかといえば、個人的な内容の事が多いので、他人が読んで面白い話題になっているのかといえば、面白みにかけると本人も思っている。

伝える内容は、皆さんの知らない世界の情報でなく、どちらかと言えば、自分の内面的なブログ、普通の日記になっているからである。やはり、普通の日記ではつまらないので、なにか新しい世界について伝えることが重要ではないだろうか?

その点では、外国に住んでいるというステージが重要だったと思う。現在は、普通に東京に暮らし、そして、東京から中国に連絡を入れて貿易業務を行っている。確かに、新鮮で知ることも有るが、お客様の秘密保持の観点から伝えられる情報も少なくなる。結局、ブログの内容は、話してもいいことに限定されてしまい、結論から言えば、自分んの日々の生活の話になる。それはでは、発信するという点では読者から考えてどう思われるのだろうか?

やはり、今の課題はその辺が、筆者自身がつくるコンテンツという内容で、今後考える必要のあることである。筆者自身もその問題をクリアーしなければ、自分メディアしてのコンテンツの面白みにかけることになる。

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