空前の中国ビジネスブームが10数年前にはあった。それを思い出し、また、面白いことを行いたいと思っている今日このごろ

□空前の中国ビジネスブームが10数年前にはあった。それを思い出し、また、面白いことを行いたいと思っている今日このごろ

2000年から2010年までは、中国ビジネスブームがあった。特に、2007年から2010年は、だれしもが中国ビジネスに興味を持ち、中国に進出をしようとしていた時代がったことは、過去の記憶になっている。私自身も、当時は、中国貿易ビジネス、中国進出セミナーを毎週上海で、日本全国で講演活動を行っていた時代がありました。今でもあの時代は良かったと思える時代でした。

私は、上海に住んでおり、上海で起業していた起業家として中国進出したい日本企業に対して上海市工商管理局より企業登記代理の資格を弊社が頂き、正式な企業誘致をする仕事をおこなっておりました。如何にも中国的というのも、私は、大学時代の中国人留学生と共同で事業を起こしたわけですが、彼の親戚が工商局の幹部であったために、「君たちは、中国に進出する外国企業の会社登記の案件おこないたいなら、工商局に申請しなさい、資格をあげますから」という一言で、申請して上海市から企業登記代理の資格を頂き、正式な中国進出企業への会社登記ができる企業になりました。当時は、人脈命の中国ビジネス、あまりにわかりやすく、外国からは、法治国家でなく人治国家ということで、避難を言う人が多かったですが、ある意味、わかりやすくて、人脈あることで、ビジネスが成立できる国として、良かったと思える点がありました。

中国は外資でできない仕事が多かったので、中国人の如何に名義を借りるか、正直、出会った人で成功できるか、できないかが決定したようなものでした。

上海には、そのような新規で進出する外国企業が多く当時はありましたので、それを狙った中国人ブローカーも多数いたことも事実でした。私のような日本人で中国進出を支援してた仕事をしていましたので、よく外国語が得意で外国企業を誘致をする現地人のブローカーと商売敵でいろいろあったことを記憶しています。

2008年頃の上海には、世界で日本人が最も多く住む街として、タイのバンコクを超えて、約10万人が居住しているといわれていました。

その当時は、日本全国から起業家を目指し、上海で頑張っていた日本人がいましたので、正直面白かったと記憶しています。それから、10年が過ぎて、現在では、その当時の人たちは、大部分が帰国をしており、当時のことを懐かしむ人はいるが、今は、中国との商売をしていない人も多くて、過去の話となっているように感じます。

2008年から2010年の中国ビジネス、というと、問時は、日本全国か起業家が集まっていた時代ですから、当時の中国ビジネスは、なぜ面白かったかというのは、それだけ多くの情報の発信と、コミュニティーが存在していたからです。私も当時よく言ったことは、「どんな国でもどんな場所でもいい仲間がでいればいい場所と思える」という言葉を発していたことを思い出しました。

すなわち、海外で一旗揚げてみたいというゆめをもった起業家が、当時は多数いたこと、そして、その人達の発信してた情報、コミュニティーが盛り上げたということが言えます。今でも一部の起業家が継続しておこなっているようですが、当時のような盛り上がりはなくなってしまったと言えます。特に、コロナの流行で、最後のトドメを指したといえる中国ビジネスですが、大手企業の駐在員による事業継続はおこなわれていますが、ベンチャー的な起業家が中国本土にいってビジネスを展開する人は少なくなったと言えます。

そう考えれば、私も23歳から40歳になるまで中国で過ごしていましたので、青春そのものですね。

RCEPは、来年の2022年からスタートします。中国を含む日本との自由貿易がスタートするということは、中国を含む新たなASEANとのビジネスモデルを考える時代になったということにあります。この商機をどう捉えるか、戦前の日本には大陸浪人、亜細亜派という人たちがいたようです。実に、私も平成の大陸浪人として放浪していたわけですから、大陸に対して思うところがあります。
ということで、またもやRCEPもスタートしますので、大陸とのビジネスを盛り上げるために、活動を開始することに決めました。

なにをするかは、これから考えますが、面白いことを始められることが重要だと思っています。