映画撮影のはなし

【映画撮影のはなし】

昨日、私の映画関係者から電話がかかってきました。「今、長崎にいます。小谷さんの知人にかわります。」という電話でした。

電話先には、わたしの知人がいましたが、その事が重要な話ではないのですが、長崎のまちおこしのために、海底からの宝探しの映画を撮影するということでした。

その映画の撮影に、たまたま、私の知人の会社がサルベージの商売をしていましたので、その会社と協力して撮影を依頼するという話でした。

映画のストーリーはどうなるかしりませんが、いずれにしろ、映画をつくり、観光誘致をする町おこしをするということです。

映像の世界で人気が出れば、そこは、観光名所になります。

これは、ある意味映画をつかった地方創生のマーケティングです。

話は変わりますが、たしか、中国で放映されたラブレターという映画ですが、これは、北海道で撮影下ということで、北海道の田舎町が中国人観光客ですごく人気になったという話が数年前にありました。

日本人が誰も注目していなかった場所が、映画でクローズアップされて、その場所に人があつまり、必死に記念写真を取るという姿、影響力という世界はすごいパワーがありますね。

そう思いました。はなしは、知人の映画の話戻りますが、その映画、うまくいって、長崎の観光誘致につながればいいですね。

中国製造の世界

【中国製造の世界】

個人的には、中国国産メーカーの作っている車に興味を持っていろいろ乗ってみました。中国で初めて買った車は、吉利汽車というメーカーです。中国の民族系自動車メーカーとして有名で、今は、ボルボまで買収している企業になります。
もともとここの社長は、地元で有名な不良で、バイクいじりが好きで、バイクを販売をして、その次に、シャレードの部品を調達して、シャレードパクリの車を作って販売してました。今は、巨大企業になりましたが、社長の振る舞いはヤクザみたいでしたが、企業もおおきくなり、礼儀正しくなって言ったのを見て、人は、その地位になれば、それなりになっていくいうことを思いました。中国のローカル工場の経営者の多くは、ほんと、チンピラやヤクザかわらないような人が工場を立ち上げて巨大企業になった場合が多く、民度はなくてもお金があるということが以前は言われていましたが、今は、随分変わってきているようです。特に親の代は、むちゃくちゃでしたが、親が金もちになり、子供は、有名大学に進学させたり海外の一流大学に留学させたりして、子供の代になって、急に一流会社のような雰囲気の経営に変わるケースが中国では見られます。教育は、人を成長させるということを感じさせられました。

中国における巨大企業経営者の結末

【中国における巨大企業経営者の結末】

中国における独占禁止に対する考え方を見ていて思うことは、企業が巨大化して、その経営者の影響力が政府にも大きく及ぼすようになれば、その企業を解体するという方向性に転じています。

資本主義をどんどん導入してビジネスで成功することは、美徳だということを強調してきた中国ですが、中国企業が世界的な規模になってきたとき、当局からみて、政府の指導者よりも大きな影響力を及ぼす可能性が出てくれば、そのカリスマ経営者を潰す傾向がある。

たしかに、中国指導部のなかで、つぎなるカリスマ指導者を誰にするか?ということ、人材の問題があると言われている。

政治家よりも、企業家がそれ以上のカリスマ性をもって、国民意識を牽引する世界になれば、結論、経済の牽引とよりも、国家の体制維持の問題にもつながるために、中国は、質素な路線に一気に路線変更をしていることが言える。

アリババ経営者や恒大集団の経営者は、それだけ大きい影響力をもつようになったことが、法律、制度もって強大企業であっても簡単に太刀打ちできなくなるということを示していると思わる。

いずれにしろ、資本主義経済を取り入れ、民間企業の巨大化をしているが、やはり、自らの政府の指導者に変わるような巨大な影響力をもつ経営者が出てくることは、国家を維持する上で、排除されるという動きといえます。

企業は巨大化するよりも、細分化、分割可して、目立たないことが大切であるという意味でしょう。

中国ビジネスを無視して通れない理由は、客家の存在を知る

【中国ビジネスを無視して通れない理由は、客家の存在を知る】

中国ビジネスについて言えば、2022年から日本にとっても精神的に大改革をしなければいけない時期に来ている言える。中国との関係で色々日本では言われているが、中国といっても、中国人は、東南アジア、ASEAN諸国で製造業などの商売をしている人の多くは、福建省や広東省からのASEAN諸国に移民した華僑である。

中国でもその人材を利用しようと、一帯一路でも福建華僑を使って、ASEAN諸国のビジネスを広げようと相当力を入れたのは事実である。

それは、日本では報道されていないが、中国政府は、福建華僑を支援をして、どんどんビジネスをするように推奨していた。現在でもその動きは続いている。すなわち、ASEAN諸国で大きな力を持っている中国華僑のふるさとも中国人、漢民族であることがいえます。

よって、日本の報道をみていると中国に対していろいろ難しい話をしていますが、政治はなしとビジネスの話を同じ路線で説明する傾向がつよくなりますが、政治は、政治、ビジネスは、ビジネスということで分けてかんがえなければ、日本はRCEPが始まり、中国とASEAN諸国の自由貿易がはじまれば、うまく仲間に入れないという自体になってはいけません。

ASEAN諸国のどの国でも大きい商売をしているのは、華僑マネーであるということです。彼らのふるさとは、福建省、広東省であるということを理解した上で、ASEANとの商売を考える必要があります。

中国では歴史的に、終われてASEAN諸国に移民した人は、客家(はっか)と言われた人たちのことです。このネットワークは中国からASEAN諸国に広がり、親族や血縁関係で強固なネットワークを持っています。

ASEAN諸国でのトヨタ自働車の成功という話を、ある元トヨタの幹部に聞いたことがありますが、ASEAN諸国の総代理店は、中国系の華僑資本に頼ったということです。それで、大きく市場を伸ばすことができたと言う話を聞いたことがあります。

インドネシアの華僑は、1%華僑資本が99%インドネシア人の経済を握っているという話もあり、中国といっても、華僑ももともとは、同じ客家であると言えます。よって、中国といっても、一つの中国民族というイメージで考えれば、間違いが起こります。

中国ビジネスにおいて、客家のネットワークは非常に重要になります。この部分に築いて、うまく商流を掴んだ企業は成功したと言えます。

 

中国共産党にとっての原点はどこにあるのか? それは、日本の東京

最近は、毎日中国ビジネスについての話を書こうと思ってブログを書いています。そうすると、不思議と引き寄せがあります。

私自身は、今の中国の国家主席の関係者は知り合いにはいないのですが、親日派であった前国家主席の家系の人とはお付き合いがあります。子供の世代でから、太子堂と中国ではいわれています。突然、日本との文化交流を行う協会始めるからということが連絡がありました。何度か、一緒に旅行にいったこともある仲です。

2008年に前国家主席が来日して、日本との間で約束したことがあるのですが、その後、その約束を行う人がいないので、自分が行うということで、日本との民間交流をすすめるためい文化交流をします。ということで、上海に事務所を開いたという連絡がありました。

以前、中国と日本の関係がどうか?戦争の可能性はあるのか?ということをその太子堂の方に聞いたことがありますが、回答は、こうでした。

「今の中国の若者の多くは、一人っ子政策で、一人しか子供がいません。もし戦争になるなったらどの親も反対してすぐに辞めるように話して、人が集まらないでしょう」「本気で血を流そうと思っている人はだれもいません」

ということ話していたことが印象的でした。

それで、その太子堂の彼に言われたのは、「中国共産党は、どこでつくったのか?知っていますか?」と問われました。そのときに初めて、私も知りました。東京で日本人の支援でつくった中国人留学生の組織が、中国共産党の原点です。

ということです。

中国人留学生の日本でははじめた学生運動が、今の中国をつくったのです。
これは、前国家主席の太子堂の彼から本人から聞いた話ですから、中国の本当のトップ幹部のなかでは、そのことは、今でも語られているということです。

原点が大切であり、中国共産党をつくった日本と文化的交流、民間交流を行うのは当然のことであるという意見でした。

この事実、ほんと、今の日本人、何人の人が知っていますか?

中国共産党は、東京でつくった中国人留学生の学生運動で、それを支援したものも日本でした。

ミャンマーの話が来た。

中国ビジネスと思って色々やっていたら、最近、中国人もアジアに色々進出しているので、ミャンマー政府の公認で協会をつくるので、その事業で相談したいことがあるということを知人の中国人から話があった。

ミャンマーかとおもったのですが、ミャンマーといえば、一時期、日本企業が安い労働力を求めて進出ブームになりましたが、軍事政権の軍事行動によって、今は色々難しい局面にある国だということは知っていますが、それ以上の情報がないのです。

ある意味、ミャンマー政府は、日本に期待している部分が大きいのでしょうね。ミャンマーも国内の問題は、国内だけで解決することや、色々行動することは、難しいのですが、日本でミャンマーの発展につながることを活動する分には、軍事クーデターの影響もありません。ですから、東京を舞台に何かを行おうとしているかと思いました。

たしかに、今年で中国共産党ができて100周年ですが、100年前は、日本の東京に留学していた中国留学生が中心となって共産党をつくり、そして、日本の支援を受けて学生運動をはじめたことがきっかけでした。

すなわち、東京が生みの親ということになります。
日本は、どの国の人に対しても差別をもって接しない国民性がありますので、日本人が、これだと決めたものに対しては、大きく支援するという特徴があり、その支援のよって、平和国家を樹立できる道があるといえます。

ある意味、日本へ国際支援を求める声は、十分にあると言えます。

ミャンマーの話は、どんな話かは詳細は聞いていませんが、しっかり話を聞いてみて、何が起こっているのか?何を起こしたいのか知りたいと思います。

日本にいても外国と接すれば面白い世界があります。

中国ビジネスについての熱い思いを文章化することは、実は自分の気持を楽しくする。

中国に渡航できないのですが、中国ビジネスに気合を入れようと思って、中国のことを書いていると、不思議と中国の知人からの連絡が増えています。中国ビジネスは、20年以上やっているので、そのことについて話をすれば、ほんと、いろいろ話しできることがあります。昔は、上海に住んでいるときは、毎日にように日本から来客があって、上海で中国ビジネスについて語っていた頃を懐かしく思います。東京で、中国ビジネスをおこなっていると、周囲にそのような仲間が少ないので、ほとんど、独り相撲のような感じで中国外商売を行っています。

たしかに、取引会社は、中国の企業ですから、中国との交渉は常におこなっていますが、取引会社とあまり熱く中国ビジネスについて語ることもありませんので、その思いをどこにぶつけるかとおもっていたのですが、ブログで日々、思うことを書いていこうと思っていたら、ふと気付いたら、昔の中国ビジネスで知り合った人から一人一人と連絡をいただくようになっていますので、これも面白いなぁと思っています。

日本と中国をつないでビジネスをいろいろやろうとおもって大陸に渡った日本人、また、日本とビジネスをしようとおもって、日本に来日した中国人と、立ち位置はそれぞれ違うにしろ、日中間のビジネスということで、いろいろ考えて行っている人は、現在もなお、世間的に言えば、ブームはさりましたが、心のなかで日中のビジネスを如何にするかという思いがあることは言えます。

私自身も、20年以上のこのジャンルのビジネスをおこなっているわけですから、この部分を否定すれば、私自身のおとなになってからの人生ついてほぼ全否定することになりますので、世の中が、中国ビジネスがブームであろうと、ブームでなかろうと、大きな市場を見て、なにかできるのではないかとおもって行動することが価値があると考えています。

いずれにしろ、中国ビジネス、私自身感じていることを好きなことをどんどん書いていきます。

書くことによって仲間が集まってきます。

2004年のときに、上海で起業したときのことを思い出して、中国ビジネスを実際に現場で行っている感覚、臨場感が伝わるブログを書いていきたいとおもいます。それが自分自身が伝えたいことだと思っています。

やはり、外国との商売は色々難しい面がありますが、今は随分整備されてきましたので、以前いくらべると中国ビジネスは、随分開かれたものと言えます。

とりあえず、うちのジャシボのビジネスモデルは、日中の架け橋、日本の中小企業と中国の中小企業の商取引の促進ができる支援事業をするということです。まさに政治とは関係ない民間交流、民間における中国ビジネスの商機を狙ってビジネスを展開するチャレンジの面白さについて自身が感じていることを書いていきたいと思います。